二対交錯文

この年になりまして
もうすぐ節目を迎えてしまうのですが
思うところが多々、


私は好きな曲というものに
結構なブレがあるのではと
思うのでして。

同い年、もしくはそれ以下で
とてつもない感性を持っている方に
あうことがありまして。


人生の中で一貫して
一番好きな曲はなんですかと
言われても、多分その時好きな曲を答えそうです。

私はそれを感動と吐き気で
受け入れることが
何度かあります。


きっと、私は
美しいとか、カッコいいよりも
先に共感や、思入で選んでしまうのでしょう。

ただ、感動だけの時があります。
予想だにもしていなかった
衝撃を受けたような。


そして、いつか
その思いが失われてしまったら
なんとも思わなくなってしまう。

きっとそれは
自分の持っていなかった感性で
衝撃をうけたのでしょう。


私の場合、時期によって
好きなアーティストもパタリと
変わってしまうのはそのせいでしょう。

さて、そうすると
吐き気を伴って受け入れるのは
自分と感性が似通っているからなのでしょう。


しかし、その思いが
失われる過程で
受諾か、拒絶かの形で
決着はつくのでしょう。

それがパズルのように
自分の感性の中に
入っていく時の拒絶反応なのか。


最近
そういった観点を持って
今まで聞いた曲を聞きなおしてみたのです。

もしくは、自分の感性の中から
何か持って行かれてしまった時の
血反吐を催す反応なのか。


そうすると、私は気づいたのです。
私の根底にある一貫した
思いがあることに。

その度、私は自分の感性をもとにする在処を
必死にさがそうと問いただしてみるのですが
なかなか答えてくれません。


きっと質問が悪かったのでしょう。
私が一番好きな形はなんだろう。


あー夏休みだー。