ブラックボックス

日常的に恩恵を受けているものに対して

ある程度の使用用途と利便性を各個人が把握していて

初めてその関係性が成り立つものだが

それは提供側からの「こうすればこうなりますよ」に

のせられているだけであって

決して充分にそのものの全てを把握しているわけではない。

だがしかし、製作者でもない誰かが

そのものの中身を解き明かして

ちょっとした工夫で更に利便性が向上する

「裏ワザ」なんかが登場したり

「テレビを叩いたら映像の調子が直った」なんていう

昭和的電気回路修理方法はいつの間にかに

「テレビを叩けば直る」と言った感じに

その使用法に多様性が設けられ流布していく。

今日のハードウェア的観点で言えば

各回路部品は小型化されていき

小型化だけにとどまらず

その小さな駆体に更に小さなチップが

組み込まれていたりする。

「テレビを叩けば直る」と言った発想も

緻密に並べられた電子チップが叩かれただけで

正常な動作に戻るかと言ったら戻りもしない。

はっきりと性能を理解して

どうすればどうなるのかを知っている人が使用するのと

「テレビを叩いたら映像の調子が直った」の

経験に基づいてテレビを叩き続ける人が使用するのとに

分かれていく。

どちらがいいのかは知らない。

だが、卒業研究でシミュレーションを作ったことや

ある実験にて機能の実装をしたことなどを考えていたら

最近ゲームが途端につまらなくなってきた気がする。

ただたんに物理演算や計算処理をして動いているだけなんだなと

思ってしまったら、ゲームだけなく自分の分野に関わるものが

全てつまらなく思えてしまった。

想像し形を作り実装することは

想像し形を作り創造することよりも

現実的で無愛想な気がして。

ただ、ものの理解をして

それをうまく活用し自分を豊かにする人もいる。

結局は「ブラックボックス」という

パンドラの箱の蓋を開けて

先に出てしまったものを見て

箱に残ったものを災厄と捉えるか、希望と捉えるか

そういう違いなんだろうとは思っているのだけれども。