ブラックボックス(2日目)

突発的思い付きなんかが

実は他人の行動を見ていたり

自分を顧みたりしている時にくる

思考の果ての塊みたいなもので

それが本当に今現在の自分の指向か

と言ったらこれはまた別の話なんだろう。

物語の中では色々な登場人物が

元をたどれば作家が一人で創りだした人物である。

しかし、物語を作品へと昇華する行為の途中で

文学であれば編集者、映像作品であれば監督、演出家

などと各人物は多角的目線を与えられ形作られていく。

それは言わば、電化製品でのハードウェアとソフトウェア的関係で

土台となるハードウェアである物語

その上で活躍する登場人物。

登場人物は時に作家や監督などの思い付きで

躍らされることがあるが

これは、そのハードウェアの中のルールで

ソフトウェアがちゃんと機能するように整えられている。

今日のソフトウェア的観点で言えば

表面的な機能さえ整えられていれば

済むようなことが多い。

ハードウェアの機能向上や多機能が

それを全て使い切ることはなく

実装には度外視されることが多いからだ。

しかし、不具合は発生する。

これは思いもよらなかった機能として使用していない

ハードウェアが実はバックボーンで不具合を誘発していたり

他ソフトウェアとの相性で不具合が発生することなどもある。

これを解決していくためにはハードウェア面での

今まで使用をすると予想していなかった

ブラックボックスを解析する必要がある。

その時に改めて、機能面やシステム面が

ブラッシュアップされていき

最終形へとアップデートされていく。

その中で使用者側にとっての

「アップデート前の方が良かった」

という問題は、往々にして多機能との

相性を考慮してそうせざる負えなかった事である。

物語の中で話が拡張されたり

過去回想はこういった意味で

登場人物というソフトウェアを

アップデートするために必要なものであったりする。

そこに絡みつく様々な要素が

人物像を膨らませていき物語が

加速していくのだろう。

しかし、物語の方向性までは完全には見せない。

オチは明かされないようにしなければいけないから。

だが、受け取り側はその意味を推測する。

そういえば、私の友人の一人に

恋人ができてすぐの頃や幸せな頃に

何故か失恋ソングを漁ったり

「いつか別れんのかねー」とか言う人がいる。

何故にそういう思考になるのかと聞いたことがあるけど

「不幸だと知っていればそれを回避するからじゃない?」

っと言われたことがある。

その時になんだか倫理の教員が教壇に立ち

「戦時中のことを学ぶのは戦争が二度と起きないようにするためです。」

と熱弁を振るわれているような錯覚に落ちた。

まぁ前者のほうが日本人には説得力がある気がするけど。