それは既に心細くて

駅を出て、駐輪場までの道を歩きながら少し思う。

自転車が盗まれているのではないだろうか。

自転車は駐輪場に停めてある。

駐輪場。管理者が不在の駐輪場。

駅から十分ほど歩く駐輪場。

大手チェーンの駐輪場。

月極の駐輪場。

私しか契約者がいない駐輪場。

なので、歩道真横に存在する駐輪場は

駐輪場に着く手前でぽつんとただ一台だけ

待っていてくれるのが見える。

それが今日は待っていてくれない気がしたのだ。

と言うのも、鍵を掛けていないのだ。

鍵を掛け忘れたのでなく

もともと鍵が着いていないのでもなく

鍵を掛けていないのだ。

いや、鍵はもともと着いてはいなくて

ホームセンターで購入して取り付けた

鍵を施錠していないのだ。

その取り付けた鍵が最近どうにも調子が悪かった。

解錠しようと鍵穴に鍵をさそうとしても

刺さりにくくなってしまっていた。

うまく刺さったかと思えば

鍵をひねってもうまく回らない。

あまりにも回らないものなので

鍵が折れてしまうのではないかと思うほどだ。

なので、今日は鍵掛けないで置いておくことにした。

一応、念の為に鍵がかかっているように見せて。

そういうことで、帰り道ふと

実は見せ掛けの施錠が

何かの拍子にとれたりしてしまい

誰かが持って行ってしまったのでは

ないか、という不安に襲われた。

不安。

というのとはちょっと違うのかもしれない。

小学生が抱くような(私は未だに抱くが)

台風とか、降雪に対する期待に似たものだった気もする。

それにこれで盗まれていたとしても

多分それ程に落ち込まない。

あぁ予想通りだ。

と思って怒りなどこれぽっちも感じないだろう。

その実、私はまだ盗まれたか盗まれてないかも

定かではないのにも関わらず

盗まれているかも、という思考から

盗まれていたらいつ買いに行こう、とか

明日は早起きしなければならないかな

という思考に変わっていた。

結局自転車は盗まれてなどいなかった。

杞憂だった。

そこで自転車は待っていてくれた。

施錠をしていなくても

そこから動けないわけではない自転車が

ちゃんと待っていてくれた自転車が

なんだか可笑しかった。

盗まれていたとしても

盗まれそうだとわかっていても

ちゃんと鍵を掛けなかった自分を悔いるだけで

数日後には何事もなかったかのように

新しい自転車に乗っている自分を想像して

なんだか可笑しかった。

そして、施錠をせずとも盗まれることなど

無いのではないかと思った。

それでいつか、盗まれる日が来て

その時には憤怒するのだろう。

そんなことを想像して

なんだか可笑しかった。

新しい鍵を買おう。