批判と評価

今から考えると大学4年から院に入ってくらいから、社会人一年で休職に入り

復職するぐらいまで、「批判されること」と「評価されること」をとてつもなく

恐れていた気がする。

 

「批判されること」については、最近大まか「今後の懸念点を気にしているもの」と「自分のやり方や正しさから外れている」の2パターンに分けられる気がしている。

 

前者なら「懸念点に対し対策をとる」になるし、後者なら「自分の目標達成に必要と思うならば修正し、違うと思えば受け流してしまえばいい」。

まぁでも、同い年くらいとか、少し上の年代くらいとかとやりとりするとだいたいが

後者で「自分のこれまでの経験とは違う」から批判しているんだなーと感じることが多い。

 

だから、最近はその間の手段にフォーカスが当たらないように、

シンプルな状態で話を進めてから、自分の表現に持っていくと楽なのだなと思ってきた。

 

例えば資料をまとめるときでも、初めから体裁を気にしてしまうと

そういうところに批判が集まりがちで、本当に気にしたいストーリーラインの

話が出来ずに終わってしまう。

 

ビジネス書籍等で見かける、最初の目標設定をしろっていうのは

こういう面でもメリットがあるのだなと思った。

 

「評価されること」については、おそらく、前半の「批判されること」を恐れていたのと

関係してくるのかなと思っている。

 

「評価される」となんとなく、次のハードルが上がったように感じる。

新しくトライしたことに関しても、なんとなくハードルが上がっているように

自分で作り出してしまう。

 

一度上がった評価をそのまま維持、もしくは、向上させていかなければならないと。

 

でも、評価は自分がした「結果」にだけされたのであって「私」にされたわけではないのだよと。

それでも、一度評価が上がり、何らかの立場が変われば「責任」はついてくるようになる。

 

なので、「結果」を出したときの「評価ポイント」は抑えた方がいいのかなと思う。

「評価ポイント」を発揮して「責任」を果たせばいいし

「弱み」に関しては、初めから評価はされていないのだから

ハードルなど上がっていないのだと。

 

まぁ、これがしっかり把握できていれば苦労しないのだけれどね。