ゴミ箱

食べこぼしを持っていく蟻がいる。

僕の食べこぼしを。

僕がちゃんと味わえなかったものを
同じ味だと言って持っていく蟻が。

そして、時たま不味い物であると
文句を言って吐き捨てる。

僕にはその行動でその意図が理解できるのに
どうやら彼らには僕の持つ言葉の意味は
理解出来ない様で、また、同時に
一緒に味わうつもりもないらしい。

その食べ物に毒を盛りこんでみようにも
結局僕もそれをいただかないと
生きていけないので
そんなことは出来ない。

踏みつぶしてみようにも
僕の靴が汚れることを
僕はひどく嫌うから
出来そうにはない。

アリの巣の目の前に食べこぼしを
落としたときには大名行列の出来上がり。

いいや、この話楽しくない。
違うことにしよ。

語彙力が表すその能力は
語彙が豊富な人と貧弱の人との境なく
伝達できる人が最も豊富であることは明らかであるが
では、語彙が豊富な人が貧弱な人にうまく説明できない場合
語彙力が無いと言えるのか。

場面におおじて使い分けること
これは、語彙力の問題なのか
頭の柔らかさの問題なのか。

語彙形成は、ひとつに説明の省略であり
もうひとつに文章の簡潔化なのだと思う。

広辞苑の説明に乗っている言語は日本語である。

同じ言語の中での積みかさりが語彙だ。

梅雨(つゆ、ばいう)は、北海道と小笠原諸島を除く日本、朝鮮半島南部、中国の華南や華中の沿海部、および台湾など、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって来る曇りや雨の多い期間のこと。
(wikipedia)

この中にはすでに、地名等は省いても
気象現象、曇り、雨等の言葉の意味を知らないといけない。

そして、梅雨を話題にして、話が通らなかったとき
曇りや雨等の言葉を使って説明するだろう。
これが語彙力だと考える。

たとえ語彙が豊富であったとしても
言葉と言葉の繋がりを認識していなければ
語彙力があるとは言えない。

つまり、語彙が貧弱な人に説明できる人には語彙力があり
それは、言葉と言葉の繋がりを辿り
一番普遍化された言葉まで戻れるという力なのだ。

知識は何事も繋がりを見いだせないことには
単なる貯蔵でしかなく力として発揮するには
その繋がりを見いだせないといけないのだろう。