大切な居場所

最近思いついたこととか
考えたことを文章化してないかなー。
なんて思ったのでブログ的更新。

色々やりたいことあったのに
いざ暇になるとゲームとか
考えごととかしかしなくなる、不思議。


小学5年生の子が統廃合の中止を
訴えるために自殺したという事件。

今回の内容を考えていた時に
この事件のことが思い浮かんで。

この子にとって5年もの時間を
過ごした小学校が大切な場所で
その場所がなくなってしまう
みんなとバラバラになってしまう
という事実が耐えられなかったのかもしれない。

そういえば、私も小学生の頃道徳の授業かなんかで
「都市開発のために緑がなくなっていくのはダメだ!」
(意訳、しかも思い出補正)という内容が
自身の区画整理で引越しさせられる自分の状況と
重なって区画整理を憎んだりした時期がありました。

内容も重度も違うのだろうけど
たぶんその子にとっても学校がなくなって
みんなとばらばらにされる
という事実が、悪だったり憎む対象だったり
躍起になる対象だったのでしょう。

実際には、区画整理で引越しをしたのも
大学生を終えようとしている最近で
ちょっと、少し、僅かながら寂しかったけれど
とくには変わらずに居られてます。
生活空間があれば、満足というか。

だから、誰かがその子に場所がなくなってしまうけれど
いつかみんなと会える時を作るっていう行動を起こせばいい
って教えてあげられたらよかったのかなって。
みんなと会える場所が必要だったと。

よく大人の方とかが言う
「学校に通い直したいな」とかの文言は
これに似て、「みんなと一緒に過ごせて勉強できる」
という場所に戻りたいんじゃないかなって。

本気で勉強が必要であれば
学校に行かなくてもできるし
教室かなんかに通えばいい。

どこか、場所に依存するということが
場所を離れることによって
変化してしまう、という恐怖になって
受け入れなれなくなってしまう。

でも、大切なのは場所でもなく時間でもなく
その関係性が続く居場所があると分かれば
受け入れられてくんじゃないかな。と。

きっとそれが二十歳の頃掲げていた
「変わらないままで変わること」で
「辿り着く場所」なのでしょう。