さぁ座って。

何か思いついてPC画面の前に座り

文字を打ち込みはじめる。

次第に文になっていくただの文字列の途中で

文章とも呼べないそれを見つめて消していく。

きっと鉛筆でノートに書きだしたのならば

とりあえず一回は書き終えたかもしれない。

ボールペンであれば、その可能性は

更に高かったかもしれない。

いや、どちらにしても捨ててしまっていただろうか。

思いついたものがさほど面白くないのでは。

と感じれば、そこで指は止まってしまう。

もしくは、それを面白く書く発想にしろ

技術にしろがまだ足りていないのでは、と思う。

プロットを今組み直す必要もない。

考えなおす気もない。

書きたかったものが、表現したかったものが

面白く無いのでは?っと思ったら終わりなのだから。

なのに、こうして座りながら画面をまだ見つめ続けては

せっかくだから何か書き始めようかなどと思う。

そういえば「理論武装をしなさい。」っと

今日帰りの電車でふと思いついた。

最近、こういうものを意識して書いているせいか

頭のなかで口語文か文章化されていきなり出てくることが多い。

何について「理論武装をしなさい。」なのか。

私は理系大学院生でもっぱら研究なんてものに

触れるべき存在なのですが、そんなことには興味は向かず。

自分の席に座っては、課題を淡々とこなし

途中発生する「お使い」というタスクを処理する。

その間で現実に憂いを投げては手元にあるタブレット

電層雲世界に飛ばしては、代わり映えのない世界を覗き込んでいる。

その時折、研究というものに面と向かわなければならないのだが

この研究の根本を支えるべきが「理論武装をしなさい。」だ。

初めは、思い付きや、こういうものがあればいいな。

という、発想から研究題目は生まれる。

そして、それは世の中に必要とされなければ

研究として継続することは難しくなる。

そのために、どういった経緯で、どうゆう必要性があって

という「理論武装」が必要となってくる。

このことは学部生の卒業研究の頃に執拗に叩きこまれたはずなのだが

すっぱり、きっぱり、やらされていただけで忘れていた。

それはともかく、教えを請うべきものでも無いのだろうが

それらしく教えてくれればよかった気がする。

執拗に迫るだけでは身につかず

説教と常識と叱ることを何かごちゃまぜにしているのじゃないのかな。

そういえば「無知の知」はどこまでを

有効範囲にするべきなのだろうと考えたこともあったか。

これは、今度何か書たくなって結局書けずで

終わってしまった時にとっておこう。

こうやって文にしてみる事で

分かることもあるのだから。

さぁ座って。